[#雑誌探訪] マイコンレーダー

「マイコンレーダー」誌は、第一法規出版から1986年11月から1990年3月号まで刊行されていた月刊誌である。途中、1989年7月号から「教育とコンピュータ」と改題している。

コンピュータ教育元年と呼ばれる1985年の翌年に創刊され、他誌とともに、これからの教育におけるコンピュータ利用を盛り上げていこうという機運の中での船出だった。当時は1960年代から始まっていたCAI研究がコンピュータの教育利用の主領域でもあったため、こうした研究成果を実際の教育に生かすべく、専門知見の情報提供が華やかであった。

東洋は「創刊に寄せて」で、コンピュータを教育に生かすことに関して「教育の役に立つ、役に立たない」ということを論じている時期ではないと思うと述べてから次のように書いている。

けれどもこれは、やたらにCAIを導入するとか、ただコンピュータのハードやソフトに精通させればよいとかいう問題ではない。

情報の流通や処理の手段がどうなってきているか、その変化が人間や社会にどういう影響を持つかということについて、何らかの洞察ないし感覚をもつというところを、ねらいの中心に置くべきだと思う。

それと、今までの教育で考えられていたよりも、ずっと明確な自己認識とを合わせることによって、これからの時代(教育も含めて)にどれほど、また、どのようにコンピュータが入ってくるべきということを賢明に判断できる次の世代の担い手が育つのだと思う。

時流に乗るのではなく次代を見据える取り組みとして教育を積み上げて欲しいという願いは、コンピュータ教育始まりし時期においても、こうして唱えられていたことが分かる。

1980年代に刊行が始まった雑誌ということもあり、雑誌自体の作りは贅沢な雰囲気をまとっていたといえる。

巻頭グラビアはモノクロではあったが、コンピュータが活躍する分野の人物や現場を伝えていた(1988年6月号まで)。見開きエッセイも毎号様々な分野から書き手を招き、コンピュータやワープロ、情報文化的なテーマで執筆を依頼している。毎号の構成も特徴的で、教育とコンピュータに関わる個々の領域からピックアップされる論考と連載記事とを詰め込んだ幕の内弁当型の雑誌づくりであった。誌名が「教育とコンピュータ」に変わる際、特集型の誌面作りへと移行している。

誌面レイアウトも、段組等の一貫性をベースにしながらも余白をたっぷりと生かしたデザイン性を感じさせるものだった。当時のパソコン雑誌にありがちな広告ページも表紙裏など最小限に留まっていた点は、学術や教育専門雑誌としての気品を保つことにも貢献していたかも知れない。

こうして「マイコンレーダー」は教育におけるコンピュータ利用に関して、多点平行的に定点観測を続けた雑誌であった。そのことが当時の実践者や研究者を書き手として育てていく効果も(他誌とともに)発揮していた。硬軟様々なレベルの論考が読み手に対して時間差で前の号を参照して理解を深める機会を提供することにもなった。

ある意味では単調な、それでも淡々と分野の現在を伝え続けた「マイコンレーダー」誌が迎えるのは、技術・家庭科に「情報基礎」領域が位置づけられることになった平成元年の学習指導要領改訂の流れであった。

そのタイミングで坂元昴はインタビューにこう答えている。(1989年3月号)

昭和61年10月に出された「教育課程の基準の改善に関する基本方針」の中間まとめでは、「コンピュータを直接に利用する基礎的、基本的能力を養う」と、コンピュータが前面に出ていたのですが、最終的には「コンピュータの操作等を通して、その役割と機能について理解させ、情報を適切に活用する能力を養う」と変わって、コンピュータがやや後ろに隠れ、情報が前面に出てきていますが。

◆坂元 文部省の協力者会議などでは、コンピュータだけでなく、もう少し広くメディア一般に対する能力を考えなさいということは言っていますからね。

要するに、コンピュータを使えるようになることだけではなくて、コンピュータの基礎にある情報を、つまりデータベースの中に入っている情報だとか、シミュレーションの中から得られる情報とか、それらの情報を組み合わせて、何かを考えるとか、それが大事であるということです。コンピュータを使うことは、そのための手立てに過ぎない。大事なことは、情報が操作できたり、情報を組み合わせたり、情報を作り出したり、選んだりという、そういうプロセスです。それをコンピュータ教育だけでやる必要は、必ずしもない。国語教育でやったり、ペーパーの資料、本とか、雑誌とかの情報もあるし、映像、テレビの情報、画像の情報もある。そういうものを上手に扱えるようにということです。

(中略)

それから、心配なのは、技術・家庭科の領域に入っているからといって、中学校に入ってくるコンピュータがわ、「技術科専用のものですよ。他の先生たち、使えなくなるよ」というようなことが起こったら困る。本当はコンピュータの教育というのは、技術・家庭科だけではなくて、社会科でも国語でも算数でも全部やらなくちゃいけないものなんです。それが一領域を持つ、所管する技術科だけの独占になっては困る。

また、逆に技術・家庭科がやればいいことで、他の教科は関係ない、ということでも困る。そういうことは注意しておかなければいけないですね。

こうした懸念を伴いながらも、新たな学習指導要領の実施に向けて進み始める中で、誌面の内容は次第に窮屈さを背景に持つようになったのかも知れない。坂元をはじめとした多くの者が予感していた教科縦割り文化の影響が、少しずついろんな形でこれまでの自由とバランスを崩し始めたように感じられる。

そして「教育とコンピュータ」誌は、1990年3月号を最後に、突然の休刊となった。

事実上の最終号となった3月号の編集後記は、「次号4月号では、今月号に続いて、教科特集の第3弾として、社会科におけるコンピュータ活用を特集します。ご期待下さい。」とあり、制作現場では継続すると考えていた様子がうかがわれる。最終号の特集は「算数・数学におけるコンピュータの活用」であった。