[歴史のシミ][#4] 昭和60年度「教育方法開発特別設備補助」

 日本の教育情報化のスタートはいつなのか。

 残念ながら関係者の見解が統一されているわけではありません。立場によって、放送・視聴覚教育の文脈の中で答えを探す人もいれば、CAI研究に端緒を見ようとする人もいますし、政策・行政動向によって定義づけるやり方もあります。

 学校教育という視野に限った場合、文部省『学制百二十年史』(平成4年)にある、次のような記述が参考にできると思います。

我が国の初等中等教育における情報化への対応は、昭和四十年代後半に、高等学校の専門教育として情報処理教育が行われたことから始まった。

 また続けて、情報教育の基盤整備について

文部省では、昭和四十年代から、コンピュータを含む教育機器全般の利用について研究を推進する観点から、教育機器研究指定校、研修用の教育機器に対する国庫補助等の施策を進めてきたが、六十年度には、コンピュータを中心とした新しい教育機器等を使用した教育方法の開発研究を促進するため教育方法開発特別設備費補助を創設し、公立の小・中・高等学校及び特殊教育諸学校へのコンピュータ等の導入に対し国庫補助を開始した。

 と記しています。これを一つの論拠として、昭和60年を「コンピュータ教育元年」と称する人たちも多いのです。当時は、臨時教育審議会が設置され、情報化への対応が議論された時期でした。

 コンピュータ教育元年を根拠づける「教育方法開発特別設備補助」とは何か。

 情報化の歴史を振り返る文章には「教育方法開発特別設備補助金は昭和60年度と昭和61年度に20億円ずつ確保された」云々と、さらりと書いたものが多いのですが、どうも又聞きっぽさが強く引用をためらいます。

 ある程度詳しいものとして、東原義訓氏の論文(2008)が次のように書いています。

我が国の小中高等学校へのコンピュータの本格的導入は,1985年の学校教育設備整備費等補助金(教育方法開発特別設備)交付からである。1985から87年度に20億円,88年度に29億円,89年度に34億円が,コンピュータ,ワープロ,ビデオディスク,映像機器などに投資された。

 教育方法開発特別設備補助とは、文部省予算項目としては学校教育設備整備費等補助金の内訳に含まれた予算だということが分かります。正式には「学校教育設備整備費等補助金(教育方法開発特別設備)」と記述するわけです。

 金額を裏付けるために文部省予算を確認すべく財務省が公開している過去の予算データベースを参照しようとすると、学校教育設備整備費等補助金の総額のみが記載され、項目内訳を確認する事が困難です。

 「学校教育設備整備費等補助金(教育方法開発特別設備)」の金額を知るには、当時の概算要求事項別表を参照するなど、文部科学省に問い合わせが必要になりそうです。(今後、調査予定)

–(以下20120515更新)

 ところで、「学校教育設備整備費補助金(教育方法開発特別設備)」が創設された経緯とは何だったのでしょうか。当時の報道をひも解くことで分かってきます。

 当時の「内外教育」の報道によれば、「学校教育設備整備費補助金(教育方法開発特別設備)」は、教材費国庫負担金廃止(一般財源化)と引き換えに計上されたとされています。(「内外教育」昭和60年1月18日号)

 六十年度政府予算案編成で、義務教育の旅費、教材費約三百五十三億円を全額カットし、これを地方交付税で措置することが決まったが,その見返りとして、パソコン時代に対応した「新教育機器教育方法開発研究委託費」と「教育方法開発特別設備整備費」、さらには都道府県の指導的立場にある教職員を全国的規模の研修に参加させるための「教育研修等事業推進費」が計上された。これに充当されるのは、カットされた額の約一割、三十億円余。

 昭和59年当時にも行政改革・財政再建が取り組まれており,厳しい歳出削減が求められていました。特に義務教育国庫負担金は格好の標的として常に削減の対象に上り、外堀から埋められていったのです。

 「学校教育設備整備費補助金(教育方法開発特別設備)」の創設は、このような行財政の大きな動きと、ニューメディアや情報化が注目を集め強い社会的ニーズとして立ち上がっていたという背景があったのです。

 コンピュータ教育元年という輝かしい第一歩ではありましたが,振り返って別の側面から見れば,教材費が一般財源化されたことによる大きな痛手を義務教育は負った出来事であったともいえます。

(2012年5月3日初出:12月21日更新前部分は省略)

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 「教育情報化の歴史のシミ」シリーズは,Facebookページ「教育情報化の後先」で掲載されたコラムです。こちらのブログにも再録しておきます。
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